March 08, 2009
理性の限界と可能性と
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性私たち人間は、何を、どこまで、どのようにして知ることができるのか?いつか将来、あらゆる問題を理性的に解決できる日が来るのか?あるいは、人間の理性には、永遠に超えられない限界があるのか?従来、哲学で扱われてきたこれらの難問に、多様な視点から切り込んだ議論(ディベート)は、アロウの不可能性定理からハイゼンベルクの不確定性原理、さらにゲーデルの不完全性定理へと展開し、人類の到達した「選択」「科学」「知識」の限界論の核心を明らかにする。そして、覗きこんだ自然界の中心に見えてきたのは、確固たる実在や確実性ではなく…。上記紹介文によって形而上学的な抽象論あるいは専門的な学術論による難解さを思い浮かべるかもしれないが、本書が凡庸でないのは「理性の限界」に関するシンポジウムとして記されている点にある。シンポジウムは「理性の限界」より導かれる「選択の限界」、「科学の限界」そして「知識の限界」の3章に分けられこの3つのテーマに沿ったパネルディスカッション形式がとられている。そこでのパネラーは各分野の専門家だけでなく、サラリーマンからスポーツマンはては戦闘的フェミニスト!まで多彩でありディスカッションの汎用性を高めている。言文一致の力技により本書は新書としての機能を十全に果たしたといえよう。
先の3つの限界はそれぞれ、アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理そしてゲーデルの不完全性定理として表出しており、「理性の限界」の帰結を示している。
・選択の限界→合理的選択の不可能性
アロウの不可能性定理:完全に合理的な選択を実現するのは不可能である
・科学の限界→科学的認識の不確定性
ハイゼンベルクの不確定性原理:物質の位置と運動量を同時に確定できない
・知識の限界→論理的思考の不完全性
ゲーデルの不完全性定理:自然数論には証明も反証もできない命題が存在する
これらがパネルディスカッションにより、不可能性と選挙、不確定性と観測、そして不完全性と証明について卑近な例をあげて語られている。そこでは選挙の矛盾と恣意性が語られ、カント主義者が観念論をふりかざし、絶対や真理が相対化され、虚無主義者がぶっちゃける。当然、ディスカッションは著者の仮想であるため事態は収拾する。繰り返す。話すように書き、書くように話すという言文一致が秀逸なのである。
限界はあるが、あくまでもブラックホールにおける特異点のようであり到達しえない極みであろう。越えられない壁として在るわけではないのだ。辞書を引けば、「理性」とは「感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力」とある。少なくとも理性的に判断できない事象であると理性的に判断できるという意味でとらえるなら理性に限界はない。すなわち理性的に進もうと思えばいかようにでも進められるのだ。
世界は不確定で無作為であり不条理だ。全知全能を必要としない。
知的刺激堪能、有無。
限界はあるが、あくまでもブラックホールにおける特異点のようであり到達しえない極みであろう。越えられない壁として在るわけではないのだ。辞書を引けば、「理性」とは「感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力」とある。少なくとも理性的に判断できない事象であると理性的に判断できるという意味でとらえるなら理性に限界はない。すなわち理性的に進もうと思えばいかようにでも進められるのだ。
世界は不確定で無作為であり不条理だ。全知全能を必要としない。
知的刺激堪能、有無。
LUNA@OUTSIDER
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